尾鷲節の由来
古伝によれば慶長20年(1615年5月)の大坂夏の陣の戦いに最後まで忠誠を尽くした真田一族が落莫悲憤の涙をしぼりつつ紀州路に落ちのび、おわせの里「野地殿」(現在の野地町)にその身をかくまいました。
ー寒村に身を寄せたこれら一族のうちには風流人も多く、悲憤やるかたなき同士の心中を「なしょまならぬ、なしょままならぬ、なしょになるみをもたせたや」(なしょは「なぜ」の意)と唄ったのが尾鷲節のおこりとされています。
昔は、尾鷲節のことをなしょままと呼んでいましたが、大正14年に大阪で初めてレコーディングを行い、その時に尾鷲節と改名されました。その時、時勢の流れに応じて歌詞もふえ、吉川英治や野口雨情の作も出るに至りました。
踊りは、昭和24年に市内在住の初代坂東伊三栄師が、尾鷲観光協会の要請で振り付けを行い今日に及んでいます。なお、昭和29年には、全国民謡大会で第3位を獲得し三重県の代表民謡となりました。
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